だから、どうか、
泡沫の唄  七




「先輩に誇れるように、生きたいです」


 そう言ってきり丸は蕾が綻ぶように笑った。眩しいものを見るように長次は目を細める。
 胸が真綿で締め付けられているようにじわりと、痛んだ。
 どうしてきり丸の笑顔にこんなにも感情がこみ上げてしまうのか、そう自身に問えば答えは驚くほどあっさりとすとんと胸の奥に落ちてきた。けれど、
(気が付いては、いけないものだ)
 毒にも薬にもなるこの感情は諸刃。だからこそ、忍びの掟はそれを禁じている。
 辛い過去を乗り越え、今ようやく新しく一歩を歩み始めたきり丸に、新たな火種を投げ込むことになるであろうこの感情は、決して芽吹かせてはならないのだ。
「先輩?」
 不思議そうに首を傾げるきり丸。その姿にぐっと愛しい、愛しいと、想いがこみ上げる。それを無理矢理飲み込んで、長次はなんでもない、と言うように首を振った。
「きり丸、」
「はい」
 この感情は決して伝えない。
 幸薄かったきり丸の人生が少しでもあたたかいものになるよう自分の生がある限り、祈り続けよう。
 だから、どうか、誇れる存在としてその心の中に留まることだけは、許して欲しいと、長次は願った。
「私は…おまえに誇られるよう在り続けよう」
「なーに言ってるんですか!先輩は今のままでも充分すぎるくらいですよ!」
「そう、か」
 愛しいその笑顔。こみ上げる感情のままその小さく細い体を抱きしめてしまいたい。けれど、それは許されない。長次はかわりに繋いでいる手に力を込めた。
「…帰ろう」
「はい!」


 空がどんどん夕闇に染まっていく中、歩く学び舎への帰路へ着く。
 同じ年頃の子供よりも痩せた傷だらけの掌は、何かを伝えようとするかのようにひどく温かった。




 忍術学園に着き、それぞれの長屋へと続く分かれ道、長次はふと立ち止まる。
「…きり丸、」
「どうかしましたか、中在家先輩?」
 長次は何も言わず視線を下に落とす。その先にはしっかりと繋がれたままの二人の手。
「あ!すみません!」
 ぱっと離れていった小さな手。繋いでいた手がとても肌寒く感じてしまう。
「今日はありがとうございました!」
「いや…」
 むしろいろいろとまだ辛いであろう過去の話をあえて自分にしてくれたきり丸に長次の方こそ礼を言いたい。しかし、口下手な長次はうまく言葉に出来ない。
 そのとき、長次は手の中のものに気が付いた。言葉の代わりになるものではないかもしれないけれど、せめてもの気持ちの示す手段になるだろうと、長次はそれを差し出した。
「これを…」
「これって中在家先輩が土産で買ったやつじゃないですか!」
「これは、おまけの分だ」
「へへっ、じゃあ遠慮なくいただきます」
 きり丸の頭をそっと撫でて、長次は微笑む。
「では、また」
「はい!おやすみなさい!」




 長次が長屋に戻るとなにやら、部屋の中が騒がしい。もしや、と思いながら戸を引くと部屋の中にはいつもの顔触れが集まっていた。
「長次遅かったな!」
 真っ先に小平太が駆け寄ってくる。視線は長次が持っている包みに固定されている。
「…、土産だ」
「やったー!いさっくんお茶!」
 言うのが早いか遅いか小平太は団子の包みを一瞬にして持っていく。
 これもいつものこと。長次は何も言わず自分の机に買ってきた本を置いた。
「古書に行っていたのか? よかったらまた貸してくれ」
「ああ」
 仙蔵と話しながら空いている場所に腰を下ろすと、ちょうど伊作がお茶を煎れ終わったところだった。長次は一息吐くようにお茶に口を付ける。
「ところで長次」
 仙蔵がにやにやと笑みを浮かべてこちらを見ていた。嫌な予感しかしない。
「団子屋の看板娘をいい仲なんだってな」
「げほっ」「ぶっ!」
 長次は思わず噎せ込み、たまたま同じように茶を飲んでいた文次郎は茶を吹き出していた。
「熱っ!」
「うわ!伊作大丈夫か!?」
「汚いぞー、文ちゃん」
「文ちゃん言うな!」
「…いきなり、何だ…」
 ぎろり、と長次は睨みつけながら言うが、当の仙蔵はまったく意に介した様子もない。
「いや私も町に用があってな、そしたらおもしろ…興味深いことに出くわしたというわけだ」
 で、どうなんだ?と悪びれなく続ける仙蔵。他の面子も聞きたい、と言わんばかりの視線を長次に向けている。長次は溜息を一つ零して、話さないわけにはいかないかと腹を括った。
「あれは、きり丸だ」
「きり丸? あのは組のか?」  長次は無言で頷いて肯定する。
「ほう、遠目とはいえ本当に女子に見えたぞ」
「仙蔵にそこまで言わせるとは一年にしちゃ上出来だな」
「…そうだな」
 長次はそっと目を伏せて先程別れたばかりのきり丸を想う。
 その小さな体に余る過去を背負ってもなおただただ生きようとする命。それこそがきり丸を凛と生きる姿勢を長次は美しく、そして愛おしく感じて、小さく微笑んだ。
 長年の付き合いから長次の僅かな笑みに気が付いた面々はいったいどうしたことかと首を傾げたが、長次は答えず黙々と団子を食べるのであった。





  





2011/04/11




 「文ちゃん!」「文ちゃん言うな!」のくだりは忍みゅネタです!絶対使いたかった!
 長次も自覚?したので他のメンツも含めて話を進めていけたらいいな、と思います!