君を知っていく
泡沫の唄  三




 本が好きだ。だから、長次にとって委員会の時間もまったく苦痛ではなく、むしろ好きなことに関われる充実した時間だ。
 長次は時折周りに関心がないと言われてしまう程に仕事に没頭してしまう質(たち)で、そうならないようにと頭の隅では思っているのだが、今日もまた気がつくと自分の委員会の仕事に没頭してしまっていた。
 窓の外から見える陽はとっぷりと暮れてしまっている。
「…終わりに」
 一緒に当番だったきり丸に声を掛けながら振り返ってみると、きり丸は机に突っ伏したまますやすやと寝息を立てていた。
 静かに近づいてそっと顔を隠す髪の毛をかき上げる。
 寝顔こそは穏やかだが、よくよく見てみると顔色が少し悪いようだ。薄っすらと隈も見える。
 もっと早く気がついていれば早く仕事を切り上げるなりなんなりしてやれたものを、と長次は気づけなかったことを申し訳なく思った。
 しかし、このまま寝ていても体の疲れはとれないだろう。だからといって起こしてしまうのは忍びない。
 そう考えた長次はきり丸の体をそっと抱き上げた。
(軽い)
 一年生の体が小さいのは当然だが、こんなにも軽いものなのだろうか。
 だらんと宙に垂れたきり丸の腕はとても細くて、とても儚いものを抱いているようで、長次の心をざわつかせた。
「…と、ちゃ…、」
 きり丸が小さく呟いて、長次の服の裾をぎゅっと握り締める。
 その手はまだ十の子供だというのに酷く傷だらけで、がさがさと荒れていた。
 明るくさばさばと物怖じしない後輩という印象だったきり丸の意外な一面が、何故だか気に掛かった。
「ん、…」
 このままでは起こしてしまう。
 長次はそっと一年生の長屋に向かって歩き出す。
(なんなのだろうか…)
 眠る子供の高い体温が抱き上げている腕から伝わって、胸をぽかぽかと温め、そして同時にきゅっと締め付ける。

(この感覚をなんと呼ぶのか)




 きり丸を一年生の長屋に送り届けた後、自室に戻ると同室の七松小平太に「ずいぶん遅かったな!」と声を掛けられた。
「委員会の後輩を、送ってきた」
「おお、そうか! 私のところではよくある話だが長次のとこでもそんなことあるんだな!」
 小平太が委員長を勤める体育委員会は小平太の独断で毎日ひたすら走らされている。体力のある上級生ならいいが、下級生は委員会を終えた頃には意識をとばしていることが多々あり、そんな後輩を長屋まで送り届けるのは委員会の通常業務のようなものなのだ。
「体調が優れなかったようだ。…いつの間にか眠っていた」
「ん? それはもしかして一年は組か?」
「…そうだが、何故…?」
「いや、私のとこにも一年は組の金吾がいるんだがな、級友が無理をしているみたいで心配だって話をしていてな。もしかしてと思ったんだ」
「…そうか」
「そいつは戦で村を焼かれたそうで、学園の学費も全部自分で稼いでいるらしくてな。珍しい話ではないが、ここは金が掛かるからな。子供の稼ぎではなかなか大変だろう」
 この乱世、戦で故郷や親兄弟を亡くしたものは決して少なくない。もちろん忍術学園にもそういう事情を持った生徒は少なくない。
 けれど学費を全て自分で賄っている生徒はそう多くはない。ほとんどの者が親の残した金や物を売ったりしたり、親族の援助を受けている。
(ああ、だから)
 あんなにも銭に強い執着をみせるのだろう。
 何故なら、あの子はそうしなければ、生きていられなかった。あのまだ小さな掌にいくつも傷を作って、がさがさに荒れるまで働かなければ、生きてこられなかった。
 銭に対する執着は、そのまま生きることへの執着なのだ。

(なんと強いことか)

(なんと悲しく切ないことか)


(なんと、なんと愛おしいことか)




 あの委員会の日から数日が経った。
 実技の授業を終え、教室に戻ろうと歩いていたその時、後ろから忍者らしからぬばたばたとした足音が近づいてきた。
「中在家先輩!」
 呼ばれると同時に足に抱きつかれる。
「きり丸…?」
「あ、えっと、すみません。先輩が行ってしまうと焦って…つい」
 そう言ってきり丸は離れて長次を見上げた。顔色は良くなったようだ、と長次は顔には出さずほっとした。
「あの、こないだの委員会の時は眠ってしまってすみません! 長屋まで送って貰って…次から気をつけます!」
 きり丸は先日のことを謝るために長次を引き留めたようだった。長次としては具合が悪いのに気づかず、長い間委員会活動をさせてしまった自分にも非があるので、そう謝られると戸惑ってしまう。
 謝ることはない、と言ってもきっときり丸は受け入れないだろう。
 どうするべきか迷った長次はやさしく下げられたままの頭をぽんぽんと撫でた。
「先輩…?」
「あまり、無理をしないように」
「は、はい」
「あと、」
「あと?」
「静かに出来るものなら、委員会活動の空き時間にやっても構わない」
「それって内職とかしていいってことっすか?」
「ああ、私も空いている時間は好きな本を読んでいる。空いている時間をどう使うかは、きり丸の自由だ」
 何故かきり丸がぽかんとした顔で長次の顔を見つめていた。そんなに変なことは言っていないはずだが、と長次は首を捻る。
「あ、ありがとうございます! じゃあ僕はこれで! また委員会の時に!」
 どこか焦っているような様子できり丸はその小さな体を猫のように翻し、来たときと同じようにばたばたと足音を立てながら一年生の教室がある方へ走っていった。
(今度、聞いてみようか)
 そんなことを思いながら、長次も授業に遅れないように教室へ向かって歩きだしたのだった。





  




2010/08/24




 全て失くしたきり丸のことを考えると、ぎゅーっと抱き締めてあげたくなります。是非長次にして頂きたい。