悲歓離合



 敬愛する天子以外に大切なものなどなかった。この身が朽ち果てるまで天子の為に在れるだけが自分の存在価値で存在理由であると星刻はずっと、そう思っていた。
(…だが、俺は…―――)
 出逢ってしまった。自分を塗り替える存在に。陳腐な言葉で例えるならば、運命の人に。
「ゼロ…、いや、ルルーシュ」
「どうした、星刻?」
 同じ黒髪だが、星刻とルルーシュでは髪質が違うため触り心地はまったく異なる。星刻はさらさらと指先を流れていくようなルルーシュの髪に手を伸ばし、軽く引く。
「こら、痛いぞ」
 少しも痛いとは思っていないのだろう。言葉とは裏腹に声は酷く甘かった。誘われるように星刻はルルーシュに口付ける。
「…んぅ、」
 もっと、とねだるような甘い声。星刻は答えるように口付けを深くする。するとルルーシュの手が縋るように星刻の服をぎゅっと握る。その仕草に何か熱い思いが込み上げる。
(…そうだ。これは、愛しい)
 中華連邦の黎星刻が天子を信望するのとはまったく違う、星刻が1人の男として、ルルーシュを愛していると思う気持ちだ。
 けれど、星刻がその思いを伝えることもなかった。何故なら星刻には愛する者よりも譲れないものがあるからだ。それはルルーシュも同じで、2人はとても似ていた。
「…君に、触れるべきではなかったのかもしれないな」
「星刻…?」
 お互いがお互いに何よりも譲れないものがある。そして更に星刻には制限がある。
「俺には、時間が…、」
「言うな」
 ルルーシュは星刻の言葉を遮り、ゼロのときのように不敵に笑ってみせる。
「私は後悔などしない。お前の後悔も懺悔も今は聞いてやる気はない」
 そうきっぱりと言い切って、ルルーシュは今までの不敵な笑みから、聖母のような眩しい微笑みを浮かべる。
「ルルーシュ」
「お前の後悔も懺悔も地獄でいくらでも聞いてやる。だから待っていろ、私を」
「…ああ」
 他者が聞けば驚くだろう言葉も2人にとっては甘い睦言でしかなかった。星刻はそのままルルーシュの細い体をしっかりと抱き締めた。
(ああ、なんて愛しい)


 *  *  *


 逞しかった体は病に侵され信じられないほどに細くなってしまった。いまやルルーシュのそれとほとんど大差ないほどの腕には点滴が注され、痛々しい。血を吐き続けた喉は嗄れ、声を出すことすら億劫だった。
 星刻が寝かされているベッドの横に置かれている丸イスには、今誰もいない。
(ルルーシュ)
 会いたかった。もうすぐ訪れる最後の瞬間が来る前にルルーシュ会いたかった。目は霞み、体は重く動かせず、こうして人は死んでいくのだろうか。1人で、孤独に。
「星刻!」
 部屋のドアが荒々しく開けられる。入ってきたのは待ち望んでいたルルーシュだった。走ってきたのだろうか、大きく肩で息をしている。
(走って転んだらどうするんだ)
 嬉しいという気持ちよりも先に、そんな心配が浮かんで、星刻は思わず口元に小さく笑みを浮かべた。ルルーシュは息を整えながら、丸イスに腰を下ろす。
「何を1人で笑っている」
 少し憮然とした表情でルルーシュは呟くが、星刻は答えず(正確には答えられないのだが)ゆるく微笑んだ。
「まあ、いい。今日はお前に報告が…」
 触れたいという衝動を抑えきれずルルーシュの言葉を遮って、その頬に手を伸ばした。筋力の衰えた腕はプルプルと震え限界を訴えるが、それでもルルーシュに触れていたくて星刻は腕を下ろそうとはしなかった。ルルーシュは見かねて星刻の腕を取り支えてやる。
「…る、……っ」
 ルルーシュを呼ぶ声はやはり上手く言葉にならなかった。けれどルルーシュは察して、星刻に微笑んだ。
「どうした?」
「……っ…で、き、に…」
 必死で何かを伝えようとする星刻の口元にルルーシュは耳を寄せ、聞き取ろうとする。
 ――地獄で、先に待ってる
 それはそう遠くない過去に交わした約束だった。
「星刻…!」
 ルルーシュが思わず顔を上げると同時に支えていたはずの星刻の腕はする視とすり抜け、ベッドに落ちる。星刻は穏やかな笑みを浮かべていた。
「…星、刻…」
 まだ、体は温かいけれど、このぬくもりもすぐに消え去ってしまう。ルルーシュはそれを忘れるようにと、最後の星刻の温度を感じるため、彼の体を抱き締めた。
「…私の話ぐらい聞いてから逝け。馬鹿星刻…」
 そうしてルルーシュは星刻にそっと口付ける。最後の口付けは、確かに温かな星刻のぬくもりがあった。  ルルーシュは医師を呼ぶため、意を決して立ち上がる。そうやって凛と立つ背中を星刻は好んでくれていたから、ルルーシュはそんな自分であり続けようと自分の中の星刻への思いに誓う。
「また、地獄で」
 ルルーシュはそう言って誰より綺麗に笑って見せた。




悲歓離合





2008/05/30
2008/11/19(改訂)