彷徨う籠の鳥



 スザクがルルーシュと出会ったのはお互いに9歳の頃の話だ。スザクは辺りでも有数の遊郭の主人の1人息子で、そこにルルーシュが連れて来られたのだ。年の頃が同じだからとルルーシュは花魁について仕事をしながら、スザクの遊び相手を言い付かり、2人は仲良くなる。
 ませた子供であったスザクは自分の店がどんなことを生業にしているのかをよく知っていたけれど、何故だかルルーシュだけは彼女達と違うと思い込んでいた。ルルーシュは自分の隣にいるためにここにいるのだと、そう信じていた。
 ルルーシュが綺麗な着物を着て化粧を施して格子に入って客寄せをしたときもスザクはまだルルーシュは違うと思っていた。その考えが子供の愚かな願望だと知ったのはルルーシュがその身を始めて客に売った夜の次の朝であった。
「…、ルルーシュ」
「うッ…!」
 ルルーシュは襦袢を羽織っただけの姿だった。いつもならきっちりと衣服を着込み、スザクにおはようと返してくれるはずだったルルーシュは、手洗い場に縋りつくようしてその細い身体を支えながら嘔吐を繰り返していた。もう吐くものもなく、出るのは胃液だけだった。
「ルルーシュ!」
 思わずスザクは駆け寄り、その背をそっと擦る。そうするとルルーシュは落ち着き始め、やがて完全に嘔吐が止まると、スザクに寄り掛かるようにその場にずるずると座り込んだ。スザクはルルーシュを方で支えながら、もう一方の手で杓に水を組み、ルルーシュの口元に運ぶ。
「飲んで」
「……っ」
 小さくルルーシュの喉が嚥下するのを確認してスザクは杓を元あった場所に置く。そうして再びルルーシュに視線を戻したとき気が付いてしまった。ルルーシュの首元に残る鬱血の跡に。
「ルルーシュ…これ…」
 その時、スザクはようやく知った。ルルーシュはここに売られてきた者達となんら代わりなどないことに。ルルーシュはこれからも自分の店のためにその身体を売らねばならないのだと。
「…ああ。情けない、よな。覚悟してたっていうのに、1人相手にこの様だ」
 ルルーシュは自分の有様に自嘲の笑みを浮かべた。
「どうして、こんなことルルーシュがしなくちゃいけないんだ!」
「スザク…」
 スザクの頭を、頬を、ルルーシュは宥めるようにそっと優しく撫でる。
「俺には妹がいる。ナナリーっていうんだけど、すごく可愛いいい子なんだ。だけど、流行病に罹ってしまって、治す為には薬が必要だった。その薬は高くて苦しむナナリーに買ってやることが出来なかった。そんな時、人買いの男が俺に目をつけた。男の提示した額だったらナナリーの薬を買うことが出来る。だから、俺は母さんの反対を押し切ってこうなることを望んだ。」
 さも当然のようにルルーシュは淡々と語るが、幼い子供がいくら愛する妹のためとはいえ、自らが買われることを決意するのはどんなに辛いことだったか、想像に難くない。
「俺は幸運だ。ナナリーを助けることが出来た。それに、俺にはおまえがいた」
 花魁について仕事をするとき、ルルーシュは嫌でも自分の現実を突きつけられる。けれど、スザクと過ごす時だけは年相応のルルーシュであることが許された。それはとても幸福なことだった。
「スザク、泣くな」
 ルルーシュにそう言われて初めてスザクは自分が泣いていることを知った。自覚した途端、涙は更に勢いを増し、止まらなくなる。
「ルルーシュ…!」
 スザクはルルーシュの細い身体を掻き抱いた。
 どうしてこんなに優しいルルーシュが苦しまなくてはならないのだろう。違う、ルルーシュが優しいからではない。ルルーシュがルルーシュだからだ。スザクがルルーシュを愛しているから、こんなにも悲しくて仕方がないのだ。
「ルルーシュ、ごめん…! …お、俺…ッ」
 言葉は上手くまとまらない。ただスザクは謝った。ルルーシュにこれから身体を売ることを強いるのは自分の家であり、スザクにルルーシュを逃がしてやる力はない。
「馬鹿スザク。おまえが謝ることなんてないんだ。大丈夫。泣くな、スザク」
 ルルーシュの優しさが切なくて、スザクはまた涙を零した。



 あれから3年の月日が流れた。スザクは父・ゲンブに呼び出されていた。
「え…?」
「おまえが18になったら正式に店を継げと言ったんだ」
 わかったな、そう言い残しゲンブは立ち上がる。部屋を出るその時、ゲンブは振り返った。
「ルルーシュに大口の身請け話がいくつか来ている。それをおまえの最初の仕事にしろ」
「そんな、待って…!!」
 スザクの制止に構うことなくゲンブは姿を消した。力なく、スザクは項垂れる。
「…俺に、ルルーシュを、売れって言うのかよ…ッ」
 愛する人を売れと言う。今までだってルルーシュにその身を売ること止めさせることが出来なかったんだから同じではないかとそう誰しも思うだろう。けれど、身請けとなれば話は違う。ルルーシュはスザクの手の届かないところで、一生を終えなくてはならないのだ。
 そんなこと耐えられなかった。スザクは立ち上がり、ルルーシュの部屋へ走った。
「スザク、そんなに急いでどうしたんだ?」
「ルルーシュ、俺と一緒に逃げよう!」
「何馬鹿なこと言っているんだ! 逃げたらどうなるのかわかっているだろう!」
 花魁が誰かと逃げたのなら、その相手は殺され、花魁は指を切り落とされ川に流されるだろう。この街に住むものなら誰でも知っている話だ。
「このままじゃ、ルルーシュが身請けされちまう! ルルーシュはもう頑張ったじゃないか! ここにいる必要なんてないじゃないか!!」
 この3年でルルーシュは契約の金額まで稼いだ。だからルルーシュが望めば、ルルーシュはもうこの仕事をやめることも許されるのに、なのにルルーシュはまだここにいる。
「ここを出ても行く当てなんてないんだ」
「え?」
「母さんもナナリーも戦争に巻き込まれて死んでしまった」
「そんなの聞いてない!」
「言ってないからな。…それにもう帰る場所がないなら、俺は―――スザクの傍にいたい」
「ルルーシュ!」
 スザクはルルーシュの身体を抱きしめた。悲しみを1人で抱えるルルーシュが、自分の隣にいたいと思ってくれていた。自分と同じように。
(何を迷うことがある。俺はルルーシュを手放さない)
 今までの迷いを躊躇いもすべて吹き飛ばして、スザクは決意する。
「ルルーシュ、やっぱり俺と一緒に逃げよう」
「だから、スザク…!」
「黙って」
 なおも言い募ろうとしたルルーシュの唇をスザクは口付けで塞ぐ。初めての口付けだった。
「俺はルルーシュを愛してる。ルルーシュと一緒に生きたい。だから、俺と一緒に来て」
「スザクっ」
 ルルーシュの手が肯定するようにスザクの服の裾をぎゅっと握り、答えるようにスザクは抱きしめる手に力を込めた。絶対に離れない、そんな想いのように―――。




「あー、腹減った! ルルーシュ、今日の夕飯なにー?」
 帰宅するなり、大きな声で空腹を主張するスザクの言葉にルルーシュはくすり、と笑みを零す。帰ってくるだろう頃合を見計らって作った味噌汁をお椀によそりながら、ルルーシュはスザクに話しかける。
「くれば、わかる。食べたいなら、ちゃんと手を洗って来いよ」

 出会った鳥籠から遠く離れた地で、2人はささやかだけれど幸せな日々をようやく手に入れたのだった。




彷徨う籠の鳥





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2007/12/04
2008/11/19(改訂)