この手を離したくない




※流血描写有り







 なんでもない、ちょっとしたことでよく笑う人。
 あまり笑うことの少ない僕からみると、どうしてそんなに笑えるのか不思議で、だけど、その笑顔を見ると僕はいつもほかほかとあたたかい気持ちになる。
 まるであの人の笑顔はジュンコを長い眠りから醒ましてくれる、春の太陽のよう。気が付けばそんなふうに思うようになっていた。

 あの人のことをいつでも笑っているようなそんな人だと、そう思ってた。

 それは、あの人の一面でしかないことをそのときの僕は理解していなかった。


 ―――あの夜までは。




 風呂を終えて3年長屋に向かう途中、夜の訓練中だった七松小平太先輩が突然飛び出し、それに驚いたジュンコがさっと逃げ出してしまった。
 豪快に笑い飛ばしながら去った七松先輩は探そうという気は皆無のようだ。いつも手伝ってくれる竹谷先輩は確か実習中だ。一人で探すしかない、僕はすぐさまジュンコを追った。

 ジュンコの逃げた方へ行ってみると、壁が一部欠けており、辺りにジュンコの姿はない。
 きっとこの隙間から外に出てしまったのだろう。この向こうはいつもジュンコと散歩する裏山だ。
 いつもあるく獣道、無花果のなる木、小さな川の辺、心当たりを片っ端から探していく。
 それでもジュンコが見つからなくて途方に暮れていたそのとき、向こうから物音がした。僕は一縷の望みをかけてそっちを覗いた。


 三日月のか細い光が木々の隙間から差し込むそこに、見慣れた背中が見えた。
(竹谷先輩…? 実習から帰ってきてたのか)
 実習明けすぐで申し訳ないが、背に腹は変えられない。ジュンコを一緒に捜して貰おうと思ったのだが、いつもとどこか違う雰囲気に僕は声を掛けることが出来なかった。
 俯いた背中。心配そうに先輩の世話する狼達がそっと鼻を寄せていた。
「…ごめんな」
 先輩が手前にいた狼の頭を撫でると、応えるようにその掌を舐める。先輩の手は震えて、そして突然その狼を抱きしめた。
「ごめん、ごめんな…っ」
 震えるような声。何度もその言葉を繰り返していた。
(いったいどうしたんだろう)
 小枝を踏んでしまい、パキ!っと音を立ててしまった。
「誰だ!?」
 聞いたことのない鋭い声。狼達も僕のいる方を睨み、低く唸った。
「先輩すみません、ジュンコを捜していて…」
「…なんだ、孫兵かぁ」
 茂みから姿を現した僕の姿を見た竹谷先輩は、構えていた苦無をのろのろと緩慢な動作で下げる。
 正面から先輩を見て僕は初めて先輩の異変に気が付いた。藍色を塗りつぶすように、黒い、時間が経って黒く変色した血がべったりとこびり付いていたのだ。
「どこか怪我を!?」
「違うよ。違うんだ…俺の血じゃ、ない」
 先輩は先程まで抱きしめていた狼にそっと視線を向ける。その子も先輩以上に血にまみれていた。
(ああ、そうか)
 今回の実習であの子を使って忍務を果たしただろう。
 あんなに愛情を掛けて育てた子を使うことに先輩はどれだけ苦悩したのだろう。僕達には笑顔しか見せないその裏側で。
 捨てきれない情が、隠し切れない苦悩が、何度も繰り返された「ごめん」の中には込められていたんだ。
(僕もいつかジュンコを忍務の道具にしてしまうのかな)
 そんなこと想像するだけでもぞっとする。
 固まってしまった僕に先輩は「ごめんな」と言って、その後吐息のような小さな呟きを零した。
「おまえ達には、孫兵には、見られたくなかったよ」
 先輩が笑う。いつもの太陽のような笑顔とは違う、悲しそうな、触れれば壊れてしまいそうな、そんな笑顔だった。
 思わず駆け寄って先輩を抱き締めた。抱き締めたとは言っても、僕の体は先輩よりも小さいから、どちらかと言えば抱き付いているという方が正しい。
「まごへ…?」
「、大丈夫です」
 安易に気にするなとか、仕方がないだとか、そんなことは言えなかった。
 だって、僕はまだ幼くて、先輩の気持ちなんて想像するしかできない。想像は想像でしかない。
「大丈夫、です」
 時間は掛かってしまうけど、いつか僕も先輩と同じ苦悩を味わって、先輩に追いつくから。先輩と痛みを分かちあえるように。
「大丈夫です」
 僕がいるから。
 先輩の手が、僕の背中にまわって、ぎゅっと服を握りしめる。応えるように、抱き締める腕に力をこめた。 「大丈夫です」
「…うん」
「大丈夫、」
「、うん」




 それからいくらそうしていただろう。先輩の手がそっと離れていった。
「孫兵」
「はい」
「…ありがとな」
 そう言って浮かべられたその笑顔はいつもの太陽ような笑顔と、先程の壊れそうな笑顔が混じりあったような、それでいて今まで見たどの笑顔よりもより強く僕をひきつける。
「あ、ジュンコ!」
「え!?」
 先輩に言われて振り返ると僕がいた茂みのところにジュンコがいた。
「ジュンコ!」
 慌てて駆け寄って、そのジュンコを抱き上げた。
「よかったなぁ、じゃあそろそろ帰るか」
 先輩が犬笛をならすと狼達はさっと姿を消した。それを見届けた先輩は僕に手を差し出す。
「……」
「子供扱いしてんじゃないって。ただ、俺が手繋ぎたいだけだよ」
「……そういうことなら」
 そして触れた先輩の手はただただ熱かった。




 先輩と学園への道を歩きながら、僕はそっと首に巻いたジュンコに触れる。
(悪い飼い主でごめんね、ジュンコ)
 遠くない未来、僕は忍務に愛するジュンコや毒虫達を使う日が来るのだろう。この人に追いつきたいが為だけに。
(でもジュンコは優しい子だから、君たちよりも優先する人間が出来たことをきっと喜んでくれるんだろうね)
 相槌をするようにジュンコがしゅるしゅると長い舌を伸ばした。


 僕は自分の意志でこの人を選んだけれど、心の中ではまだジュンコ達への想い、先輩に追い付きたい願い、ジュンコ達を道具のように扱うことへの嫌悪と恐怖、つもりつもり膨れ上がるこの人への思慕。いろんな感情や意志がごちゃ混ぜになって、僕を内部から揺さぶり続けている。
 確かなものは、握った手から伝わる先輩の熱いほどの体温だけだった。




この手を離したくない
(これが愛するキミへの裏切りだとしても、)





雰囲気文でごめんなさい。ぐわーっと書いたのですが、うまく書けなかった…orz
私的には忍たま達が初めて人を殺めるのは五年への進級試験だと思ってます。なので当サイトではその設定で書いております。




2010/09/14