「……ホクト、一緒に病院に行ってくれないか」 「…へ?」 母であるルルーシュから出た唐突な言葉にホクトの思考は停止する。辛うじて出たのは間の抜けた声だけだった。 「びょ、病院?」 驚きを隠せずにいるホクトの言葉にルルーシュは神妙な顔で頷いた。どうやら本当に病院に行かなくてはならないようだった。本当なら夫であるスザクに付き添いを頼みたいのだろうが、あいにくスザクは多忙の極みで今日も帰宅が何時になるのかすら定かではない。 「わかったよ、母さん。俺が一緒に行くから! 保険証持った? お金は足りてる? タクシー呼ぼうか?」 次々と言うホクトの様子にルルーシュは小さく微笑む。 「準備は大丈夫だ。一緒に行ってくれるだけで充分だから」 「母さんはすぐ無理するし、強がるから…。とりあえず、タクシーだけは呼ぶからね?」 「ありがとう、ホクト」 タクシーに乗り込んでルルーシュは近くにある大きな総合病院の名前を言い、タクシーはそこへ向かって走り出す。ルルーシュの表情は何処か張り詰めていて、ホクトはただ心配になる。 「…母さん、どこが悪いの?」 「……ああ、具合が悪いというか、前にも確か同じようなことが」 「そのとき医者はなんだって?」 「いや、そのときは医者には行ってない。お節介な魔女が…」 「魔女?」 「あ、いや、なんでもない」 そう言ってルルーシュは黙り込んでしまうから、ホクトは結局ルルーシュがどんな状態にあるのか聞きそびれてしまった。けれど、黙り込んだルルーシュの不安の入り混じるその様子を少しでも軽くしてあげたくて、ホクトは自分が隣にいるということは伝えるように、ルルーシュの掌をそっと握る。 不安には人の温度が良い、そうルルーシュに教えられたから。 「…!」 ルルーシュは目を瞠りホクトを見つめ、そうして花が綻ぶように微笑んだ。 そうこうしている内にタクシーは無事に病院に到着した。料金を支払い、病院の入り口へ向かおうとしたそのとき、ルルーシュが携帯電話を取り出しなにやら操作しているのを見て、ホクトは携帯電話の電源を切らなくてはと思い当たり、慌てて携帯電話を取り出した。 「…あ、そうだ」 電源を切る前にスザクに一言だがメールを送っておこうとホクトは思い、ルルーシュの付き添いで病院に向かうということだけを告げたメールを送る。 「ホクト?」 「ごめん、今行く!」 電源を落とした携帯電話をジーンズのポケットに押し込んで、ホクトはルルーシュの元へ駆け寄った。 * * * 「おめでとうございます」 医者の言葉にホクトの思考は再び停止する。 おめでとうございます、祝いの言葉だ。病院で、しかもここ、産婦人科でおめでとうございますと言われるケースなんて1つしかないのだが、ホクトの思考は追いつかない。 「ちょうど3ヶ月程ですね」 決定的なその言葉にようやくホクト思考は追いついた。 そう、要するにルルーシュはただ単に具合が悪かったのではない。妊娠、していたのだ。 医者と話を続けるルルーシュの姿をホクトは眺める。いつもと変わらないように見える母のその中に新たな命が、自分の兄弟がいるのだ。 (家族が、増える) 信じられない気持ちと、こそばゆい喜びが一緒くたになって、ふわふわと現実感がない。ホクトはただ、ルルーシュの後に付いて行くしか出来なかった。 「今日は付き合ってくれてありがとう」 「うん。…ねえ、母さんはなんとなくわかってたの?」 「まあ、な。ホクトのときもこんなだったから」 「俺のとき?」 「ああ、あのときは自分に子供が出来るなんて思ってなかったから酷く驚いた」 ルルーシュはそう言いながら、まだ薄い腹にそっと触れる。 「この中に命があるんだって、すぐには信じられなかったな」 昔を懐かしむようにルルーシュの目が細められる。ホクトは何か言おうとして、でも言葉にならなくて、押し黙る。そのとき、2人の側にタクシーが止まり、中からスザクが飛び降りてくる。 「…ルルーシュ!」 「スザク、どうしてここに…」 「病院に行くってホクトがメールくれたから、とりあえず急ぎの仕事だけ片付けて直行した」 不安そうにスザクはルルーシュの様子を確認する。どこが悪いのかと、常盤の瞳が尋ねている。 「父さん、おめでとうございます、だって」 「へ?」 ホクトの言葉が飲み込めていないスザクは間の抜けた声を出す。そんなスザクの様子にルルーシュははにかんだ笑みを浮かべて、スザクに告げる。 「3ヶ月だそうだ」 「あー、3ヶ月……って、ええぇぇえええぇえぇええ!」 家に着いた頃にはスザクもしっかり事態を理解し、今では蕩けそうな笑みを浮かべながら、ルルーシュと話をしている。 「男の子かな、女の子かなぁ」 「3ヶ月でわかるわけないだろう」 「それはわかってるけどさ、気になるじゃないか」 そんな両親の会話を聞きながら、ホクトはふわりと欠伸を漏らす。時計を見ていればもうそろそろ日付が変わろうとしている。いつもならもう寝ている時間だったから、眠いのも当然だろう。 「それにホクトのとき、僕は何も出来なかったから、今度は出来ることをしてあげたいんだ」 「スザク」 ルルーシュに息衝く新しい命はこうやって望まれて産まれてくるのだ。そうして枢木家に新しく家族が増える。ホクトは眠気でぼんやりとする頭でやってくる未来のことを思った。 「…俺だけ、」 「ホクト?」 「俺だけの父さんと母さんじゃなくなっちゃうんだ…」 家族が増えることが嬉しくないわけではない。けど、寂しかった。そして、父親であるスザクが存在を知られないまま産まれそのまま両親と離れて育った自分と、両親に望まれ愛され育つだろうこのことを思うと、ずるいと思ってしまう。 その子のせいでもなければ、両親が悪いわけではないのに、そう思ってしまう自分が酷く醜いもののようにホクトは感じた。 「俺、すごく、やなやつ…」 俯いてそう呟くと、優しく抱き寄せられる。ホクトは顔を上げた。 「…母さん…」 ごめんなさい、そうホクトが言おうとするとぽんぽんと宥めるように頭を叩かれた。スザクだった。 「ホクト、謝らなくていいんだよ」 「父さん…」 「そうだぞ、お前がそう思うのは当たり前のことだ。私達がホクトにしてあげられたことは少ない、その上、ホクトがとてもしっかりしているのにいつも甘えてしまっている」 育った環境のせいかしっかりとし過ぎてしまったホクト。文句のひとつも言わず、時には両親のフォローすらしてくれる。忘れてしまいそうになるが、本当はホクトだって甘えたい盛りの子供なのだ。 「思ったことなんだって言っていいんだよ。もちろん我が儘も言っていい。叶えてあげられることは叶えるし、無理なものは無理ってちゃんと言うから」 「でも、俺は…父さんと母さんと一緒にいられるようになったことで充分なんだ。あれもこれも望んだら、きっと罰が当たる。もう、離れるなんて嫌だから、俺、俺は…っ」 「それがどうして罰になる?」 「だって…!」 「ホクトは本当にルルーシュに似てるなぁ」 「罰だのなんだのっていう考え方はおまえにそっくりだぞ、スザク」 「ホクトはもっと、私たちに甘えろ」 優しい言葉と温かな両親の体温に誘われるように、ホクトは久しぶりに子供らしく、大声を上げて泣いた。そうして泣いて泣いて泣き終わった頃には、ぐるぐると渦を巻いていた感情はすっきりと形を潜めていた。 ホクトはルルーシュの腹部におずおずと触れる。この掌の下に新しい命が宿っているのだと、ホクトはようやく実感し、そして心の底からの祝福を送る。 「元気に生まれてこいよ」 ファミリー・ファミリー ブログサイト5万HIT感謝企画にて、水城さまよりリクエスト頂きました。どうもありがとうございました! 2008/06/22 2008/11/15(改訂) |