憧れ、夢見た、温かで優しい場所。それは、ここにある。
Eternal trinity 23



 暗い、暗い、その世界。そこはまるで光すら届かぬ深海の果て。彼女はそっとそこで目を覚ますが、身体は鉛が巻き付けられたかのように動かない。
 どうして、そう呟こうにも声も出なかった。暗闇の中で彼女は途方に暮れる。
『おまえというやつは…私に手間を掛けさせるな』
 懐かしい声が暗闇に響いた。
(…C.C.)
『まったく、変わらずぬるいな』
 温かい何か、おそらくC.C.の掌が彼女に縛り付けられた戒めを解いていく。ふわりと身体が宙に浮く感覚。そして記憶が溢れる。
 契約は終えたと言い処刑前日に消えたC.C.、死んだ自分とそれを見下ろす自分、焼き付くような輝き、遠き日に亡くした母とC.C.の姿。再び目覚めたときにはすべてを忘れていた。記憶の回路が断裂してしまったからであろう。
(何故、私を生かした)
『自惚れるな。生かしたのではない、Cの世界に来られても邪魔だからな、そちらに送り返したまでだ』
(なら何故、今もここにいる)
 与えられた王の力と共にCの世界に送られたルルーシュを王の力と引き換えに傷ついた肉体を修復し、送り返しただけではなく、こうして黄泉路を彷徨う彼女を導こうとしているのだから、相当なお人よしだ。
『……おまえの甘さが映ったのかもな』
(勝手に言っていろ)
『おまえにCの世界は似合わない。行け、ルルーシュ』
 暗闇の中でC.C.は遥か上空を指差した。その先に一筋の細い光がある。ルルーシュの背がそっと押され、身体がゆっくりと光の元へ向かっていく。
 ―――ルルーシュ、幸せになりなさい
(…母、さま)
 その声の方へ振り向こうとした瞬間、眩しいほどの光に包まれる。光が辺りを真っ白に塗り替えていく。



「……ん、」
 そこは白い部屋だった。白いカーテンが靡くその隙間から覗く空は透き通るような青。膝の辺りに感じるぬくもりに視線を向ければ、そこには膝に頭を乗せ眠っているホクトの姿があった。思わず手を伸ばせば身体に痛みが走る。
「――っう…!」
 肩から響くような痛みに耐えながら、そっと身体を起こし、ホクトの頬に触れる。指先から伝わる、自分よりも高い体温。
「ホクト」
 最後の別れを告げて背を向けたその時のこと今でも忘れていない。あの時はあんな小さかったホクトがこんなにも成長した姿を見ることなどないはずだった。それが今、目の前でこうしてその姿を見ることが出来る。手を伸ばせば届く距離にいる。この子を置いていくことを自分で決めたというのに、この奇跡が泣きそうなほどに嬉しかった。
 眠るホクトの目元は真っ赤に腫れている。きっと酷く泣いたのだろう。
「…っごめんなさい、置いて行って…しまった」
 謝っても謝りきれるものなどではないと分かっていたけれど、謝るのを止められなかった。ごめんなさいと、何度も繰り返した。
 その時、廊下を誰かが歩いてくる音が聞こえた。その足音はまっすぐにこの部屋に向かい、プシュッとエアー音を立てて、ドアが開く。入ってきたのはスザクだ。水でも替えてきたのだろうか、大きな花瓶を抱えていた。

「…ス、ザク」

 思わず名前を呼んでいた。その声に常盤の瞳が驚きの色を浮かべる。

「ルルーシュ…?」

 スザクの唇がルルーシュの名を呟いた。昔と変わらないその響き。さよならを告げたあの時から、もう呼ばれることなどなかったはずなのに。どうしようもなく嬉しくて、切なくて、愛しかった。切り捨てようとしても、捨て切れなかった思いが溢れ出す。
「スザク…!」
 ずっと泣きたくないと思っていた。泣くと弱くなってしまいそうで怖かったから。でも、今、涙が零れるのを止めることは出来そうになかった。ボロボロと零れ落ちる涙がシーツに落ちては、次々と吸い込まれていく。
「ルルーシュ!」
 ガシャンと音を立てて花瓶が落ちた。それを確認する前に、スザクに抱き締められる。痛いほどの抱擁に息が詰まるけど、離して欲しいとは思わなかった。
(私はずっと、この人が欲しかった―――)
 愛し、愛されて、傍にいて、抱き締めて、抱き締められて、ずっと一緒にいたいと願っていた。失うのを恐れて戸惑って、理由をつけて諦めようとしたけれど、出来るわけがなかった。
「スザク、スザク、スザク…っ」
「本当にルルーシュ、なんだね」
 スザクは抱擁を解いて、両手でルルーシュの頬を包み込み、顔を覗き込む。
「夢じゃ、ないよね…?」
「当たり前だ…バカっ」
 ルルーシュの言葉にスザクは安堵の表情を浮かべて、微笑んだ。その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「…相変わらず、泣き虫だな」
「君とまた会えて嬉しくて、涙が出るんだよ。ねえ、ルルーシュ」
 なんだ、と返そうとしたルルーシュの唇にそっとスザクのそれが重なった。
「ルルーシュ、愛してる。君を愛してるんだ」
「…スザ、……んっ」
「ずっと言えなかった。ルルーシュが死んだと知ったとき、後悔した。守ることも、想いを告げることも出来ずに、死なせてしまったことを。それからただ死なないから生きていた。けど、ルルーシュがホクトを遺してくれたから生きようって思えた、ホクトのおかげでまた君と出会えた」
 スザクはルルーシュの膝の上で眠っているホクトの頭をそっと撫でる。
「ルルーシュ、僕とホクトの、家族になって下さい。」
「…私は、おまえたちを置いていったんだぞ」
「でも、こうして会えた。なら、いいじゃないか」
「…おまえはいつから結果主義になったんだ」
 スザクの言葉に素直に答えることの出来ないルルーシュに更にスザクは言葉を重ねた。
「ルルーシュは、いや?」
「嫌なわけ、ない…!」
 そう問われて、嫌だなんて心にもないことを答えられるわけがなかった。
「私も、スザクとホクトと、家族に…なり、た…!」
 一度は止まったはずの涙が再び溢れて、スザクの指がその涙をやさしく拭った。そうして、また抱き締められる。今度は真綿で包むようにふんわりと。
「ルルーシュ、愛してるよ」
「私もおまえが好きだ。スザクを愛してるよ」
 ずっとずっと言うことのなかった言葉。この言葉を紡ぐことの許されたその幸福を逃さないように、ルルーシュはスザクの背に手を回し、抱き返した。


 幾度となく擦れ違い、互いに悲しみ傷付けあった。進むべき道は違えたのだと、離れた。
 それでもこうして再び触れ合うことが出来たのは、2人を繋ぐ存在があったからなのだろう。

 ―――愛しているよ、



−END−



 いつもの時間に目を覚ましたホクトは裸足のままぺたぺたと足音を立てながらリビングへと向かう。ドアを開ければ、キッチンに立つルルーシュの姿がある。
「ふぁ…母さんおはよう」
「おはよう、ホクト」
 何気ない当たり前のような挨拶が嬉しくて、ホクトは甘えるようにルルーシュの足元に抱きついた。
「朝ご飯なにー? おなかすいたー」
「早く食べたかったら、お父さんを叩き起こしておいで」
「いえす、まいまざー!」
 見よう見真似の敬礼をして、ホクトはスザクが寝ている寝室へと走り出す。スザクはまだベッドの中で寝息を立てている。ホクトは容赦することなく、その上に勢いよく飛び乗った。
「うわっ、ちょ、ホクトー!?」
「父さん、日曜だからって寝てるからだよ! 早く起きろー!」
「まっ、待って! 今、起きるってば…!」
「聞こえなーい!」
「わああっ! る、ルルーシュ、助け…ッ」
 寝室から響いてくる父と子のやり取りにルルーシュはくすりと笑みを零す。
「早く起きないのが悪いんだよ、バカ」

 ああ、ここには幸せが溢れている。




2007/11/06
2008/11/15(改訂)